2018-05-14 第196回国会 参議院 予算委員会 第18号
その上で、この多重的な、多元的な、トップリーダーだけではない外交について一つ具体例を挙げさせていただくと、防災外交というものについて私は提案したいと思います。 今回の日中韓首脳会談の共同宣言にも、仙台防災枠組を盛り込まれています。これは二〇一五年に仙台で開催された国連防災会議の採択された枠組みですが、あのときには、あの国連の防災会議、十五万人の来場者があったんです。
その上で、この多重的な、多元的な、トップリーダーだけではない外交について一つ具体例を挙げさせていただくと、防災外交というものについて私は提案したいと思います。 今回の日中韓首脳会談の共同宣言にも、仙台防災枠組を盛り込まれています。これは二〇一五年に仙台で開催された国連防災会議の採択された枠組みですが、あのときには、あの国連の防災会議、十五万人の来場者があったんです。
今後も、日本の平和国家像、平和国家日本のイメージといいますか、これが強化されるよう、ODA、軍縮外交、防災外交、あるいはさらに女性の活躍推進、人間の安全保障、世界保健、グローバルヘルスなど、そのような分野、そこは日本がまさに限定的ではなく世界を助けることができる分野でありまして、先人たちの築いた日本の平和ブランドの領域でもあります。
こういう状況を見ますと、やはり新しい積極的平和主義の外交の一環としても、科学外交、防災外交という観点で、この北朝鮮の白頭山の噴火のための予兆の監視体制、その情報の共有、万が一大きな噴火が起こった場合、間違いなく日本が五センチから六センチの火山灰で覆われるということは過去の例から明らかなわけですから、日本の安全保障にとっても、日本の経済にとってもとても重要な問題だと思うんですね。
日本がまさに防災外交の旗手となって、大震災で犠牲となった方々への鎮魂の思いも込めて世界に防災体制の重要性を伝え、被害の未然防止に寄与していくという、こういうことです。 そして第二に、今度は原子力災害についてですけれども、日本は事故の反省と教訓を世界と共有する必要があります。ですから、事故への対処に関する国際法の発展、こういうことに寄与すべきではないかという観点でございます。
まず防災外交、これはディザスター・プリベンションですね、そのDです。それで、軍縮はディスアーマメントです。それで、日本はまた開発援助、やはり開発があっての防災という、両輪という話ししてきましたので、開発はディベロップメントですね、ディベロップメント・アシスタンス。この三つのD、日本はこういうところを一生懸命やるんですよと。
○赤松(正)委員 何だか、要するによくわからないことを言われたんですが、そういう表現そのものが、日本的に言うと、僕は防災外交という言い方をしましたけれども、私がきょうこうやって取り上げるのは、法政大学の下斗米伸夫さんですけれども、彼がそういう震災外交という表現を使っているということから、きょう取り上げているわけです。 彼いわく、大きく言って三つある。一つは安政東海大地震、一八五四年。
震災外交、これは松本大臣が誕生したということの時点から、松本さんには震災外交あるいは防災外交、こういう役割を積極的に進められる使命がおありなんだということを申し上げました。
○松本(剛)国務大臣 震災、防災外交という言葉は、直接は私は存じておりませんでしたということは先般もお話をさせていただいたかもしれませんが、ロシアが非常事態省の部隊を迅速に派遣して捜索救難活動を行ったり、緊急人道支援活動などに積極的に取り組んでいるというようなことは、私自身の認識としてもあります。
○赤松(正)委員 一番最初の所信表明に対する質問の中で、私は、松本さんの役割というのは、まず一つ言えることは防災外交、いわゆる震災外交、いろいろな言い方はできようかと思いますが、この未曾有の震災の直後、誕生した大臣として、震災というものに対する姿勢が大事だということを申し上げました。
○赤松(正)委員 そういう今おっしゃられたことは大事なことであると思いますので、しっかりと防災外交という側面に視点を合わせてやっていっていただきたいというのが一点目です。
○赤松(正)委員 先ほど、防災外交という使命があると申し上げました。それは十一日の松本大臣のあいさつ、ここにもありますけれども、その後、今この場に立つに当たっていろいろと考えたときに、そういう使命がおありだというふうに思ったわけですが、実は、この外務大臣あいさつ、十一日の朝の時点で聞いたときに大変不満を覚えました。
津波、さらに今回は原子力発電所の大変な事態ということを含めて、私はここで何を言いたいかというと、松本剛明外務大臣の使命は、日本の防災外交、防災外交の先鞭をつけるというか、レールを敷くというか。残念ながら、この十六年間、私たちも政権の一角を形成しておりましたけれども、本格的な防災外交というところには至らなかったかなという思いがあります。